序章:シュメール都市国家の時代
メソポタミアの大地には、ウルクやウル、ラガシュといった都市国家が並び立ち、それぞれの王が神々の代理人として君臨していた。彼らは灌漑を駆使し、壮麗な神殿を築き、交易によって富を蓄えていた。しかし、各都市国家は互いに争い、統一とはほど遠い状況にあった。シュメールの覇権は時にウルクが、時にウルが握るものの、それは決して長続きするものではなかった。こうした混沌の中、一人の男が歴史の舞台に登場する。それがサルゴンである。
サルゴンの野望とアッカド帝国の誕生(紀元前2334年頃)
サルゴンの出自には伝説が付きまとう。彼は王の血を引く者ではなく、幼少期に葦の籠に入れられて川を流されたという神話すら残る。しかし、彼はキシュの王の側近として頭角を現し、ついには反乱を起こしてキシュを制圧。次いで、強大なウルクを打ち破り、ラガシュやウルを征服し、メソポタミア全域にその名を轟かせた。
こうしてサルゴンは、メソポタミア史上初の中央集権国家を築き上げる。彼は各都市国家の王たちを従属させ、反乱の芽を摘むために各地に総督を配置した。そして、シュメール語に代わる行政語としてアッカド語を採用し、国家運営を一元化した。交易路も拡張され、アナトリアからインダスまでの広大な経済圏が形成された。こうしてアッカド帝国は、メソポタミアにおける新たな秩序の象徴となったのである。
ナラム・シンの栄光と驕り(紀元前2254年~2218年頃)
サルゴンの死後も、彼の子孫たちは帝国を受け継ぎ、最盛期を迎えるのがナラム・シンの時代である。彼は「四方世界の王」を名乗り、遠征を繰り返し、帝国の版図をさらに広げた。そして、彼は大胆にも自らを神と称し、神殿に自身の像を祀らせた。しかし、この神格化の試みは、シュメール人の宗教観と相容れないものだった。
ナラム・シンの統治下では、シュメール人の反感が強まり、各地で反乱が頻発した。彼の晩年には帝国全体が不穏な空気に包まれ、統治は難しくなっていった。そして、彼の死後、帝国の運命は急速に暗転する。
崩壊の序曲:グティ人の侵入(紀元前2154年頃)
帝国の衰退を決定づけたのは、ザグロス山脈の遊牧民、グティ人の侵入である。彼らはアッカドの守備の隙を突き、次々と都市を破壊していった。かつては恐るべき軍事力を誇ったアッカド軍も、長年の遠征と反乱の鎮圧で疲弊し、もはやこの新たな脅威に対抗する力は残されていなかった。
帝国の中心であったアガデは略奪され、ついにアッカド帝国は滅亡する。シュメール人はこの出来事を「アッカドの呪い」として語り継ぎ、ナラム・シンの神格化が神々の怒りを招いたと考えた。歴史の皮肉として、アッカドが生み出した中央集権の統治機構は、帝国の崩壊後も消えることなく、次代の王国へと受け継がれることになる。
アッカドの遺産とメソポタミア史への影響
アッカド帝国はわずか180年ほどで滅びたが、その影響は計り知れない。中央集権的な統治システム、アッカド語の標準化、広域交易の発展、軍事組織の整備は、後のバビロニアやアッシリア帝国にも引き継がれた。シュメール人の都市国家意識が根強く残る中で、サルゴンは「帝国」という新たな統治の形を示し、それを後世の国家が受け継いでいったのだ。
かつては都市国家が乱立し、互いに争い合うだけだったメソポタミア。しかし、アッカド帝国の出現によって「広域を統一する中央集権国家」という概念が生まれ、以後の歴史を形作ることになったのである。