2024年から2025年にかけて、米価が異常な高騰を見せています。商品や地域によって差はあるものの、店頭では5kgで4000円を超える価格が当たり前となり、消費者の間に動揺が広がっています。こうした中、農林水産省は「需給はおおむね均衡している」との立場を維持しており、その説明と実際の価格との間に、深い乖離が生じているように見えます。
説明が複雑になるのは、単純な事実を否定したいからでは?
この現象に対して、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁氏は一貫して、「米価高騰は単に供給不足によって起きている」と主張しています。彼の説明は、現実の価格動向とよく整合しており、少なくとも店頭の米価を目にする限り、説得力があるように思えます。
農水省は当初、「投機目的で小規模業者や農家が米を抱え込んでいる」と説明していましたが、3月末に発表された調査ではこの見解を撤回しました。代わって、「各流通段階で少しずつ在庫が積み増され、それが主要ルートを圧迫して価格が上昇した」としています。
しかし、山下氏はこれを明快に批判します。
「生産が18万トン増え、その分19万トン在庫が積み増された」というだけでは、供給は変わっていない。つまり価格が上昇する理由にならない──というのが山下氏の主張です。
実際に、農水省が長年把握してきた大規模業者の民間在庫は前年比で40万トン近く減っており、全体として供給不足になっている可能性が高いとされています。
米価が倍になるには、どれほどの不足が必要か?
筆者は農政の専門家ではありませんが、経済学の初歩として「価格は需給の関数である」という前提に立てば、ここまでの価格高騰は説明が付きません。
仮に、価格弾性値を0.1(供給1%減で価格が10%上昇)と仮定すると、価格が倍になるには、おおよそ1割の供給不足が必要となります。日本の米の年間消費量はおよそ700万トンですので、数十万トン規模の不足が価格上昇を説明する上で必要となるわけです。
この試算はあくまで素人的な推計にすぎませんが、山下氏の指摘する「40万トンの民間在庫減」と合わせて考えると、現実に起きている価格上昇は需給ギャップによるものであるとする説明のほうが自然です。
「供給が足りている」という前提が崩れるとき
農水省の説明がますます複雑になっていく背景には、「米は足りている」という前提を崩せない事情があるのではないでしょうか。もし供給不足が原因であると認めれば、国が長年推進してきた減反政策や備蓄制度の妥当性そのものが問われるからです。
しかし、現実は明白です。
店頭では、米が高い。
備蓄米が放出されても、価格はなお高止まりしたままです。
この事実が何より雄弁に、需給が逼迫していることを語っているのではないでしょうか。
政策は言葉で現実をねじ曲げられない
制度の目的や仕組みがどうであれ、価格というのは現実の鏡です。どれほど複雑な説明を重ねても、実際の米価が高騰を続けている限り、それが政策の評価基準となります。
山下氏は次のように述べています:
「もう少しまともなウソをついてくれ。」
この言葉は挑発的にも聞こえますが、根底には強い危機感があります。農政が「監督すべき相手(JA農協)」に忖度し、消費者をないがしろにしている。その構図が、今の価格高騰というかたちで表面化していると、氏は警告しているのです。
本当に問われているのは、「現実に即した政策」
私たちは、制度や説明の正しさではなく、「現実に即しているかどうか」で政策を評価しなければなりません。
米がないから、値段が上がった。ただそれだけの、単純な事実。
この事実から目を背けるために、どれだけ複雑な説明を重ねても、現実の米は一粒たりとも増えません。そして、店頭の価格は日々、それを私たちに突きつけているのです。