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スティーブ・ジョブズのAndroidへの怒りとスマートフォン業界への影響

2007年1月、ジョブズはiPhoneを発表しスマートフォン市場を一変させた。これに衝撃を受けたGoogleのモバイルチームは、従来計画していたAndroid携帯(通称「Sooner」)を撤回し、新たにマルチタッチ対応デバイスの開発に着手したという。こうして2007年末にAndroid OSが発表されると、ジョブズはAndroidを「盗作(stolen product)」と看做して激しく反発するようになる。ウォルター・アイザックソンの伝記によれば、ジョブズはAndroid搭載機の登場後に「最後の一息まで戦う」「Androidを壊してやる、そのためなら熱核戦争も厭わない」と怒りを露わにし、Google製品を「(iPhoneに対して)めちゃくちゃコピーした」と罵倒した。彼は金銭の譲歩ではなく、ただ「我々のアイデアをAndroidで使うのをやめてくれ」とシュミット氏に求めたとも伝えられている。

Key excerpts from "Steve Jobs" biography | Reutersも示すように、当初ジョブズとGoogleの関係は良好だった。2006年にはGoogleのエリック・シュミットCEOがAppleの取締役に迎えられ、両社は検索や地図サービスで協力していた。しかしiPhoneの成功に伴い競争が激化し、2008年にはジョブズがGoogle本社でラリー・ペイジらと激論したという逸話が伝わる。2009年8月にはシュミットCEOが社内声明で辞任を表明し、「AndroidやChrome OSの登場でAppleの中核ビジネスへの関与が著しく制限される」とジョブズは声明で説明している。こうして相互の信頼関係は崩れ、AppleとGoogleは競合関係へと転じた。

特許紛争も激化した。2010年3月、AppleはHTCを皮切りにAndroid陣営への訴訟を開始した。これを機にジョブズはIsaacson氏へのインタビューで「Androidは盗作であり、すべてを投入してでも戦う」と宣言し、「Androidを破壊する。熱核戦争も厭わない」とまで語った。さらに同年末にはモトローラ、2011年にはSamsungも訴訟対象となり、世界中でApple対Android各社の「スマホ特許戦争」が展開された。Appleはドイツなどで「スライドしてロック解除」(slide-to-unlock)機能の差し止め命令を勝ち取り、Samsungのタブレット製品デザイン変更を迫るなど一定の成果を挙げた。

技術面でもAppleは独自色を打ち出した。ジョブズはユーザー体験を重視し、iPhoneの特徴的なUI機能に積極的に特許を取得させた。たとえば、iOSの画面端で表示を跳ね返す「ゴムバンド効果」はUS特許“’381”で保護されているが、iOS開発責任者Forstall氏は「ゴムバンド効果はiPhoneの流麗さの肝で、ジョブズが非常に重視していた」と証言している。またForstall氏によれば、ジョブズはSamsungに対し「これは我々が発明したものだ。マネするな、盗むな」と直接述べたという。AppleはこうしたUI特許を武器に、競合機種のデザインや操作に類似性が見られるたびに法廷闘争を仕掛けた。さらにAppleは、自社の閉じたエコシステムを軸にハードウェアとソフトウェアの統合設計を強化し、iOS機能やSiriなど差別化要素を次々と追加した。ジョブズは「我々はコントロール重視だからではなく素晴らしい製品を作るためにこうする」と述べ、Androidのオープン志向との対比を明確にしていた。

その結果、AppleとGoogleはスマートフォンOSの二大勢力として対峙する形となった。ジョブズはAndroidを「めちゃくちゃな出来」と評し、Appleは「素晴らしい製品を作る」ことに専念する道を選んだ。現在、Androidは世界のスマホOSシェアの約7割を占めている一方、AppleのiOSも米国市場では5割以上のシェアを維持している。この対立はまた、スマホ業界全体に知的財産権の扱いに関する議論を呼び起こした。Apple対Androidの紛争は「インスピレーションと模倣の境界」を問う事例となり、以降のモバイル競争に長期的な影響を与えている。

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