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「リッチスタート」という名の罠:資源が焼き切る国家の設計思想

国家の独立という「新規プロジェクト」の立ち上げにおいて、初期資産の豊かさは必ずしも成功を約束しない。むしろ、過剰な初期リソースは管理者の規律を狂わせ、システムを内部から腐敗させる致命的なバグとなり得る。

ジンバブエは、独立時に白人政権が残した高度な農業インフラと堅牢な経済基盤という、極めて恵まれた「リッチスタート」を切った。しかし、この潤沢な資産は、管理者にシステムの「運用と保守」ではなく「略奪と分配」という誤ったインセンティブを与えてしまった。既に動いている完成されたシステムを目の当たりにしたリーダーたちは、それを維持・発展させる苦労を厭い、目先の利権として解体し、身内に切り売りすることを選んだのである。

対照的なのが、隣国ボツワナの「ガレージスタート」だ。独立時、この国にはわずか数キロの舗装道路しかなく、文字通り何も持たない状態からの再起動を強いられた。リソースの枯渇という極限の制約が、一円の無駄も許さない徹底した規律と、法治に基づくクリーンな設計を国家の深層に刻み込ませた。何もないからこそ、彼らは「ルールを守らなければ即座に死ぬ」という、シビアな生存戦略を選ばざるを得なかったのだ。

ここで、ジンバブエにトドメを刺したのが「資源」という名の甘えである。

金やダイヤモンドといった鉱物資源の存在は、政府にとって「偽のセーフティネット」として機能した。本来、無謀な農地改革で農業という基幹システムを破壊すれば、国は即座に破綻する。しかし、支配層は「地面を掘れば外貨が出る」という過信から、システムの抜本的な修正(リファクタリング)を後回しにし、致命的なバグを放置し続けた。資源から得られるキャッシュは、壊れた政治を修復するためではなく、壊れたまま延命させるための「その場しのぎのパッチ」として浪費された。

資源があるという事実は、時に管理者の視界を曇らせる。自ら価値を生み出す努力を放棄しても、地下から湧き出る富が失政を覆い隠してしまうからだ。この「資源への依存」が、結果として産業の多様化を阻み、統治機構の腐敗を加速させる。ジンバブエにとって、豊かな大地と鉱脈は、国家というシステムの脆弱性をあぶり出すための鏡ではなく、目を逸らすための目隠しになってしまった。

我々はこの逆説的な悲劇から学ばなければならない。プロジェクトを成功させるのは、初期予算の多寡ではなく、限られたリソースをいかに効率的に、かつ透明性を持って扱うかという「設計思想」の純度である。潤沢なリソースに甘え、基本動作のデバッグを怠ったシステムに、輝かしい未来は訪れない。

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