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その正論が、チームを冷やす

アジャイルはチームワークの物語だと言われる。
けれど現場で起きるのは、もっと不格好で湿ったドラマだ。

誰かが優秀すぎて、誰かが黙りこむ。
コードは動くのに、会話が止まる。
レビューは完璧なのに、空気が冷えていく。

理論で説明できることは少ない。
心理的安全性、透明性、協働。
言葉としては整っているが、現実では脆い。
その脆さを見てしまった人は、
「それでもやり直せる」と信じるか、
「もう二度と関わりたくない」と思うか、
そのどちらかに揺れる。

ブリリアントジャークという言葉がある。
優秀で、しかしチームを壊す人。
記事は、そんな存在に直面したスクラムマスターの記録だという。
一般化した教訓の形をとってはいるが、
読む者はみな、
「これは誰の話だろう」と思ってしまう。
匂いのする匿名。
マスク越しに透ける現実。

近ごろのエンジニアたちは、客観性を信仰している。
感情よりデータ、体験より再現性。
論理が正しければ、世界も正しく動くと信じている。
だが、人の心はバグを出す。
デバッグ不能な沈黙、
再現性のない違和感、
見えない例外。

だから本当は、客観の隙間に主観を差し込む勇気が必要だ。
「うまくいかなかった」「傷ついた」「間違えた」
そのままの言葉で書くこと。
理屈ではなく、体験としての知を残すこと。

一般化は安全だ。
だが安全な語りは、人を動かさない。
生のままの語りには危うさがある。
それでも書く人は、まだ関係の中にいる。
跳ね返りを恐れず、
痛みを引き受けて語る。

技術の成熟は、客観の完成ではない。
観察者の存在を、もう一度取り戻すことだ。
数字の外にある呼吸、
理屈の裏にある沈黙。
そのあやうさごと、チームは動いていく。

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