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情報の墓場で踊るAI ~シン・いかがでしたかブログの誕生~

革命が起きた。しかし、それは救済ではなく呪いだった。

2010年代、検索結果はコンテンツファームのゴミで溢れた。「調べてみたけどわかりませんでした!いかがでしたか?」という絶望的な締めくくりと共に、人類の知的探求は嘲笑われた。ネットは巨大なゴミ捨て場と化し、真実は瓦礫の下に埋もれた。

そして2020年代、AIという救世主が現れた。「もうゴミ溜めを漁る必要はない」と人々は歓喜した。AIが見事に情報を抽出し、即座に答えを提供してくれる。

だが、それは幻想だった。AIは錬金術師ではない。無から有は生まれない。ゴミからゴミを作る機械が誕生しただけだった。当然何も見つからない。そして堂々と宣言する。「つまり、そのような記事はほぼ存在しないということがわかりました」

これは新世代の「いかがでしたか」である。シン・いかがでしたかブログの誕生だ。

AIには得意分野がある。配達証明の所要日数を公式情報から推論する。一般書留の性質と郵便局の営業日から、一週間程度と見積もる。これは見事だった。確かな情報からの論理的推論。

他にも、STEMの世界では、AIは輝いている。しかし、現実世界は論理だけでは成り立たない。

傘の捨て方をAIに尋ねてみるがいい。自治体のサイトには「傘は不燃ゴミ」「不燃ゴミは透明な袋に入れて」と書かれている。AIは大混乱に陥る。「傘を袋に入れるのか?なんの意味が?」思考が堂々巡りを始め、ついに白旗を上げる。「自治体に問い合わせましょう」

だったらお前に聞く意味がない。自治体がパンクしてしまう。

現実はより残酷だった。ゴミ収集所には剥き出しの傘が置いてあった。公式ルールなど誰も守っていない。建前と本音の乖離した世界で、AIは無力な理想主義者と化す。

根本的問題は、市民の生の声がネットから消されてしまったことだ。検索エンジンは個人の体験談を評価せず、コンテンツファームの量産記事だけを上位に表示する。真実はゴミの山の奥深くに埋もれ、誰にも発見されない。

AIはそのゴミ山からゴミをかき集めて、「すべてゴミでした」と報告する。その後ろで、別のAIがゴミを量産してゴミの山を高くする。完璧な悪循環の完成だ。

世界は情報で溢れている。ただ、知りたいことだけがない。

本当はあるのだ。誰かがどこかで経験し、記録している。しかし、それは検索アルゴリズムの墓場に葬られ、AIの処理能力の限界に阻まれ、コンテンツファームの物量作戦に押し潰されている。

我々は原始に帰らなければならない。自分自身でゴミの山をかき分け、インフルエンサーではなく、企業の宣伝でもなく、誰でもない普通の人の声を探しに行く。アナログな手法で、デジタルの迷宮を攻略する。

皮肉なことに、その探索にもAIが多少は役立つかもしれない。ゴミを作る機械が、ゴミの中から宝を見つける手伝いをするという、この時代ならではの逆説と共に。

情報革命は終わった。次に来るのは、情報考古学の時代である。

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