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知性の死蔵と亡命:インフラなき「高機能ライブラリ」の悲劇

国家の発展を一つのソフトウェア・プロジェクトとして捉えるなら、教育とはその根幹をなす「ライブラリ」の蓄積に他ならない。ジンバブエという国は、アフリカ大陸の中でも極めて優秀なライブラリ、すなわち高い教育水準を誇る人材層という資産を保持している。しかし、どれほど洗練されたコード(知識)が書かれたとしても、それを動かすための「ランタイム」が壊れていれば、産業というアプリケーションは決してビルドされることはない。

現実の世界におけるランタイムとは、安定した電力、効率的な物流、そして信頼に足る通貨システムというインフラである。

ジンバブエでは、この実行環境が致命的に破損している。エンジニアがどれほど優れたビジネスモデルを設計し、職人がどれほど精巧な製品を構想しても、断続的な停電が生産ラインを止め、ハイパーインフレが価格設定というロジックを破壊し、未整備の道路がデリバリーを物理的に遮断する。高機能なライブラリは、それを実行するためのメモリもCPUも奪われた状態で、ただディスクの片隅で眠ることを強いられているのだ。

この「環境の不整合」が生み出すのは、凄まじいまでの知性の浪費である。

高度な数理能力や技術的知養を備えた人材が、その知性を「いかにして今日の食糧を確保するか」や「刻一刻と価値が溶けていく通貨をどう防衛するか」という、極めて低レイヤーな生存戦略のデバッグに費やさざるを得ない。本来なら新しい価値を創造するために使われるはずのクロック周波数が、システムの欠陥を補填するためだけに浪費されている。これは、スーパーコンピュータを使って電卓の計算をさせているような、国家規模の損失である。

そして、この状況に対する最も合理的、かつ冷酷な解決策が「エスケープ・シーケンス」である。

優秀な人材は、壊れた国内サーバーを修理することに一生を捧げるよりも、すでに安定稼働している「海外」という別のOSへ自分自身を移籍させることを選ぶ。彼らにとって国外への移住は、単なる逃避ではない。自分の持つライブラリが正しく動作し、正当な出力を得られる環境への、必然的なマイグレーションなのだ。

この頭脳流出こそが、失敗国家における最大のパケットロスである。

知識という資産は、使われなければ劣化し、外部へ流出すれば二度と戻らない。国家が教育というライブラリへの投資を続けながら、ランタイムの整備を怠ることは、せっかく開発したコアロジックを競合他社に無償で提供し続けているようなものだ。

実行環境への信頼が失われた場所で、知性という名のアプリケーションが花開くことはない。我々は、ライブラリの充実以上に、それが正しく実行されるための「環境の整合性」がいかに重要であるかを、この停滞したサーバーの惨状から学ばなければならない。

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