最近、「具なしラーメン」の人気がじわじわと広がっているという報道があった。ラーメンの本質であるスープと麺の味を純粋に楽しむための「新たな選択肢」だとメディアでは語られる。しかし、実際には「具なしラーメンを選ぶ人が増えた」のではなく、「具ありラーメンが高すぎて選べなくなった」だけなのではないか。この現象は、日本社会の貧困化を象徴している。
1. 「新たな選択肢」ではなく、「削られた選択肢」
ラーメン店主のコメントでは、「1000円を超えるラーメンが当たり前になり、少しでもお客さんに選択肢を提供するために具なしラーメンを考えた」と語られている。しかし、これは本当に「選択肢が増えた」のだろうか?
かつてのラーメンの「選択肢」は、トッピングを増やすかどうか、麺を大盛りにするかどうかだった。
しかし、現在の「選択肢」はどうか?
- 具を減らすか?
- スープだけで我慢するか?
- トッピングを諦めるか?
これは「選択肢が増えた」というより、「削られた選択肢」の中で消去法的に選ばれているに過ぎない。
2. 1000円の壁と「貧困の可視化」
記事の中には、具なしラーメンを選んだ客のコメントとして、
「お店に行っても1000円とかで、入るのやめたりする。(具なしは)安いというのもあるし、すごくいいかなって思います」 とある。
これは明らかに、
- 本当は具ありラーメンを食べたいが、高くて手が出ない
- 仕方なく、少しでも安い具なしラーメンを選ぶしかない という消極的な選択である。
もし本当に「スープの味を純粋に楽しみたい」と思う人が多いなら、30年前から具なしラーメンは人気だったはずだ。しかし、そんな話は聞いたことがない。具なしラーメンの普及は、単なる食文化の変化ではなく、経済的な理由によるものだ。
3. メディアの報道姿勢:「ブーム」として美化することの違和感
具なしラーメンの人気が「新しい食のトレンド」であるかのように報じられているが、その背景にあるのは「金がないから仕方なく選んでいる」という現実だ。メディアは、「節約志向」や「健康志向」といった言葉を使い、ポジティブに言い換えているが、それは選択肢が減ったことを覆い隠すための言葉遊びではないか。
本来、ジャーナリズムの役割は「事実を伝えること」だ。しかし、今回の記事も「新たな選択肢」という表現でぼやかし、「貧乏だから具なしラーメンを選ぶしかない」という現実を直視させないようにしているように感じる。
さらに、店主の実名を出して取材している以上、「客が貧乏だからこういうラーメンを出しています」とは書けない事情もあるだろう。店としては宣伝にはなるが、「貧困向けのラーメン屋」と認識されるのは避けたい。しかし、だからといって「新しい食の形」として報じるのは違和感がある。
4. 具なしラーメンとインバウンド丼の対比
一方で、インバウンド向けの高級飲食は大盛況だ。外国人観光客は高級和牛や寿司、海鮮丼を楽しんでいる。その横で、日本人は「1000円の壁」に苦しみ、具なしラーメンを食べている。
- 外国人向けの日本:高級なグルメ観光
- 日本人向けの日本:削られた選択肢の中からの節約食
この対比は、日本の現状を端的に示している。
5. まとめ:選択肢が削られる国、日本
「具なしラーメン」は、日本人の消費行動が「選ぶ楽しみ」から「削るしかない現実」へと変化していることの象徴である。
- 選択肢は増えているのではなく、減っている
- 1000円の壁が日本の貧困を可視化している
- メディアは貧困を「新たな選択肢」として美化する
この国は、気づかないうちに「減らすことが当たり前の社会」になっているのではないか。