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エッチなゲームから始まる自由の終わり——クレジットカード会社による新たな検閲の脅威

参考:SteamとItch.ioに圧力をかけてアダルトゲーム規制を強行したクレジットカード会社に対してゲーマーから抗議の電話やメールが殺到 - GIGAZINE

目次

静かに進む表現統制の実験

2025年7月、SteamとItch.ioから突如として大量のアダルトゲームが削除された出来事を、単なる「エロゲー規制」として片付けてはいけません。これは私たちの自由社会に対する重大な脅威の始まりかもしれないのです。

今回の事件の背景には、反ポルノ団体がVisa、Mastercard、PayPalなどの決済プラットフォームに圧力をかけたことがあります。しかし注目すべきは、これらの決済会社が政府の命令でも法的義務でもなく、一部の活動団体の要求に応じて事実上の検閲を行ったという点です。

歴史を振り返ると、権力者が社会統制を強化する際、最初に手をつけるのは常に「社会的に擁護する声の小さい分野」でした。今回のアダルトゲーム規制も、まさにその典型例と言えるでしょう。

エロティックなコンテンツは、多くの人にとって「別に無くても困らないもの」として認識されています。そのため、これを規制しても大きな反発は起きにくく、むしろ「道徳的に正しいこと」として受け入れられやすいのです。しかし、ここに大きな落とし穴があります。

今回の事件で最も恐ろしいのは、民間企業が金融インフラを武器として表現統制を行ったことです。法律でも政府命令でもなく、一部の企業の価値判断によって、合法的なコンテンツの流通が停止されました。

これは新しい形の検閲システムと言えます。政府による直接的な検閲は民主主義国家では困難ですが、民間企業による「自主規制」という形を取れば、表現の自由を制限することが可能になるのです。

Visaからの返信メールでは「合法的な商取引の保護に注力している」「道徳的な判断を下すことはない」と述べていますが、実際の行動は正反対です。この矛盾は、彼ら自身もこの規制が理不尽であることを理解していることを示しています。

税制史が示す規制拡大のパターン

税制の歴史を見ると、増税は常に「社会的に受け入れられやすいもの」から始まります。最初は酒やタバコといった「体に悪いもの」から課税が始まり、次第に対象が拡大されて、最終的には生活必需品まで課税されるようになりました。

表現規制も同じパターンを辿る可能性が高いのです。今回のエロゲー規制が成功すれば、次は「暴力的すぎるゲーム」「差別的な表現を含む作品」「政治的に不適切な内容」へと規制対象が拡大されていくでしょう。

実害のない表現を規制する理不尽さ

冷静に考えてみてください。インディーゲーム開発者が作るアダルトゲームは、誰かに実害を与えているのでしょうか。二次元のキャラクターが現実世界に飛び出してきて、実際の女性を襲うのでしょうか。そんなことは起こりません。

にもかかわらず、これらのコンテンツが「道徳的に問題がある」という理由だけで規制されています。これは明らかに理不尽です。実害のない表現を、一部の人々の価値観に基づいて規制することは、自由社会の根幹を揺るがす行為なのです。

今回の規制の背景には、複数の動機が混在していると考えられます。一つは、コンテンツ産業全体を金融インフラ経由で統制しようとする戦略的意図。もう一つは、純粋に「世界を浄化したい」という道徳的快感への中毒です。

後者は特に厄介です。中絶反対派が休日を潰して病院前で祈っているように、道徳の押し付け自体に快感を感じる人々が存在します。彼らは合理的な議論が通用しない相手であり、自分の価値観を他者に強制することに使命感を抱いています。

ゲーマーの抗議が示す希望

幸い、この問題に対してゲーマーたちが組織的な抗議活動を展開しています。VisaやMastercardのカスタマーサービスには抗議の電話やメールが殺到しており、決済会社側も事態の深刻さを認識し始めています。

この抗議活動は非常に重要です。なぜなら、沈黙は同意と受け取られてしまうからです。今ここで声を上げなければ、次はより大きな自由を失うことになるでしょう。

この問題を「所詮エッチなゲームの話」として軽視してはいけません。これは自由社会の試金石なのです。実害のない表現を、民主的な手続きを経ずに規制することを許してしまえば、それは専制政治への道を開くことになります。

表現の自由は、民主主義の基盤です。今回のような理不尽な規制を看過することは、私たち自身の首を絞める行為に他なりません。エロゲームを守ることは、究極的には私たち全員の自由を守ることなのです。

一見些細に見える問題の中に、社会全体の自由の未来がかかっています。今こそ、この静かな侵略に対して声を上げる時です。

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