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「辞めるな石破!」デモが映し出す日本政治の深刻な病理

「石破辞めるな! 石破負けるな! 石破粘れ! 民主主義を守れ!」…“激励デモ”を現場直撃 デモ参加者が自民党支持者では「ない」理由とは? | 政治 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ

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野党支持者が与党総裁を応援する異常事態

7月25日、総理官邸前で奇妙な光景が繰り広げられた。200人近くの人々が「石破辞めるな!」「石破負けるな!」「民主主義を守れ!」と声を上げたのである。しかし、この「激励デモ」の参加者たちは自民党支持者ではなかった。立憲民主党、れいわ新選組、共産党などの支持者が、なぜか与党総裁の続投を願って集まったのである。

この光景は、現在の日本政治が抱える根本的な問題を象徴している。衆院選、都議選、参院選で連敗を重ね、党内からも退陣論が噴出する石破総裁が、なぜ野党支持者から熱烈な支持を受けているのだろうか。

How派とWhat派の根本的な価値観の違い

この問題を理解するためには、人々の思考パターンにおける根本的な違いを知る必要がある。それは「How派」と「What派」の対立である。

How派は「どうやって」を重視する人々である。プロセス、手順、筋道を大切にし、主体的な努力や心構えに価値を見出す。一方、What派は「何を」を重視し、結果や客体的な利益を優先する傾向がある。

誕生日プレゼントを例に考えてみよう。How派の人は「どれだけ心を込めて選んだか」「相手のことを考えて悩んだ過程」を重視する。対してWhat派の人は「相手が実際に喜ぶもの」「具体的に役立つもの」を重視するだろう。

この違いは、政治の場面でより鮮明に現れる。石破総裁の進退問題において、野党支持者の中でも明確に分かれているのである。

民主主義の基本原理が崩壊している

What派の野党支持者にとって、石破総裁の続投は理想的な状況である。なぜなら、石破氏は政策的にリベラル寄りであり、選挙にも弱いからである。「自分たちに近い政策を推進し、なおかつ選挙で負けてくれる与党総裁」というのは、野党にとってこれ以上ない「都合の良い敵」なのである。

デモ参加者の声を聞けば、この計算は明確である。「高市氏、小泉氏などが総理になられると困る」「石破さんは言葉が通じる総理」という発言は、まさにWhat派的な客体的利益の追求を表している。

一方、How派の野党支持者であれば、たとえ短期的に不利になろうとも「選挙で3回も負けて責任を取らない政治家がトップでいいのか」という疑問を持つはずである。政策的に近くても、筋の通らない政治を容認することはできないだろう。

しかし、この問題は単なる政治的計算の話ではない。より深刻なのは、民主主義の基本構造が機能していないことである。

現在の石破総裁は、自民党支持者からは見放され、野党支持者からは熱烈に応援されるという、極めて異常な状況にある。これは民主主義における代表制の根本的な逆転を意味する。第一党である自民党の支持基盤に支持されず、少数派である野党支持者に愛される与党総裁というのは、民主的正統性の観点から言えば破綻した状態である。

デモ参加者が「民主主義を守れ」と叫んでいることの皮肉さは、ここにある。彼らが守ろうとしているのは、実際には民主主義の原理を破壊する状況なのである。多数派の意思を無視し、少数派の利益を優先する政治構造を維持することが、果たして「民主主義を守る」ことと言えるだろうか。

責任政治の空洞化が招く長期的な危機

さらに深刻なのは、責任政治の完全な空洞化である。通常であれば、一度の選挙大敗でも指導者の進退が問われるものである。しかし石破総裁は、都議選、参院選で連敗を重ねても責任を取ろうとしない。

この状況を「都合がいいから」という理由で容認することは、日本の政治文化全体に深刻な悪影響を与える。「結果を出さなくても責任を取らなくていい」という前例を作ることは、将来の政治家たちにとって極めて危険なメッセージとなるだろう。

What派的な短期的利益の追求が、長期的には政治システム全体の劣化を招く典型例がここにある。目先の「得」のために、政治の基本原理を犠牲にする発想は、結果的にはより深刻な問題を生み出すのである。

この問題を左右の政策論争として捉えるのは間違いである。これは政策以前の、民主主義の制度的危機なのである。

無党派層から見ても、与党支持者から見ても、現在の状況は明らかに異常である。自党の支持基盤に支持されない党首が居座り、敵対勢力から激励される政治指導者というのは、組織論的に見ても成り立たない構造である。

もし一般企業で、顧客に嫌われ競合他社に愛される経営者がいたとすれば、その企業は確実に破綻するだろう。政党も同様で、支持基盤を失って敵に愛される党首では、健全な政治活動は不可能である。

真の民主主義回復のために必要なこと

今必要なのは、How派とWhat派の違いを理解した上で、民主主義の基本原理に立ち返ることである。短期的な利益計算よりも、政治制度の健全性を優先する視点が求められている。

野党支持者であっても、「筋の通らない政治を容認してはならない」というHow派的な価値観を持つことが重要である。逆に、与党支持者であっても、党利党略を超えて民主主義の原理を守る姿勢が必要だろう。

石破総裁個人への評価とは別に、「こんな政治でいいのか」という根本的な問いかけを、私たち一人一人が持つべき時が来ている。政策の違いを超えて、政治の質そのものを問い直す議論を今こそしなければならない。

民主主義の危機は、制度の問題である以前に、私たちの価値観と判断の問題でもある。目先の利益に惑わされることなく、長期的な視点で政治の健全性を考える姿勢こそが、真の民主主義には必要なのだ。

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