「我々は権威主義を打破した」と彼らは胸を張る。PageRankアルゴリズムを携え、Yahoo!のディレクトリ検索を時代遅れの産物として葬り去った。「人間が選ぶ時代は終わった。機械が民主的に判断する時代の始まりだ」。
そして彼らは勝利した。圧倒的に。
しかし、勝利の頂点で何をしているのか。
E-A-T(専門性・権威性・信頼性)。YMYL(Your Money or Your Life)。ドメインオーソリティ。検索品質評価ガイドライン。認定サイトの優遇。大手メディアの転載記事で埋め尽くされた検索結果。
Google、お前Yahoo!になりたかったの?
25年前、Yahoo!は正直だった。「人間が厳選したサイトだけを掲載します」。明確で、率直で、嘘がなかった。一方、現在のGoogleは何と言っているか。「高度なアルゴリズムがコンテンツの品質を評価し、ユーザーにとって最も価値のある情報を提供します」。
何かを検索すると、同一記事の転載が並ぶ。大手メディアA、大手メディアB、転載サイトC、転載サイトD。実質的に同じ情報を何度も見せられる。これが「高度なアルゴリズム」の成果だと言うのか。
Yahoo!のディレクトリ検索の方がまだマシだった。少なくとも重複はなかった。
なんという壮大な皮肉だろう。
「権威に頼らない民主的な検索」を標榜して権威を倒した者が、勝利の後で最も権威主義的になった。「あらゆるサイトに平等な機会を」と謳って戦った者が、今では認定サイト以外を事実上排除している。
世界最高水準の報酬を得ている技術者たちが、25年かけて作り上げた結果が「Yahoo!ディレクトリのAI版」。しかもYahoo!より性能が悪い。転載記事だらけで、情報の多様性は皆無。
「コンテンツの中身で評価している」という技術的説明も、結果を見れば空虚な響きしかない。中身?同じ記事の転載で検索結果が埋まっているのに?
技術的説明は全て、既存の結果を正当化するための後付けの理屈だ。
本来なら「良いコンテンツを上位表示するアルゴリズム」を作るべきなのに、実際は「現在の表示結果を説明する理論」を作っている。科学の本末転倒。仮説が現象を予測するのではなく、現象に合わせて仮説を調整する。
そして最も奇怪なのは、ユーザー側の反応だ。
「検索の使い方が悪い」「キーワード選択のスキルが足りない」「もっと具体的に検索すべき」。転載記事だらけの検索結果を見ても、なぜかユーザー自身が自分を責める。
高度な技術があるのはGoogleなのか、ユーザーの方なのか?
世界最高の技術を持っているなら、ユーザーが何も考えずに検索しても良い結果が出るはずだ。キーワードで転載記事しか出ないなら、それは単純に機能していないだけ。
他の製品で考えてみろ。「この車は高性能だけど、運転テクニックがないとまともに走らない」「この洗濯機は最新技術だけど、洗い方を研究しないと汚れが落ちない」。完全におかしいだろう。
だが、最も深刻な問題はここにある。
Googleは今や品質で選ばれていない。iPhoneのSafariのデフォルト検索、AndroidのChromeのデフォルト検索、PCのChromeブラウザのデフォルト検索。みんな「最初から入っているから」使っているだけ。
20年前のGoogleは革命的だった。Yahoo!や他の検索エンジンと明らかに質が違った。だから人々が自発的に選んだ。しかし今は?プラットフォームによる独占。技術的優位性ではなく、単純にデフォルトだから使われている。
Internet Explorerの再来だ。
そして奇妙な事実:公式サイト検索なら、25年前のYahoo!にもできていた。
1990年代後半のYahoo!ディレクトリは、人間が厳選したサイトを分類し、公式サイトを確実に上位表示していた。今のGoogleが誇らしげにやっている「公式サイト検索」は、四半世紀前の技術レベル。
世界最高峰の技術者集団が25年かけて到達した境地が「Yahoo!と同じことしかできない」。しかも転載記事だらけでYahoo!より劣化している。
AI、機械学習、PageRank。高度な技術を駆使した結果が、シンプルなディレクトリ検索と同レベル。
技術の進歩とは一体何だったのか?
最終的にGoogleがやっていることは、認定サイトだけを掲載する「事実上のディレクトリ検索」。Yahoo!の人力ディレクトリの方が、基準が明確で、重複がなく、カテゴリが整理されていた。よっぽどマシだった。
Yahooは「人力で厳選している」と正直に言っていた。Googleは「高度なアルゴリズムで中身を評価」と嘘をつきながら、実際は認定サイトしか表示しない。
だったら最初からYahoo!でよかったじゃないか。
少なくともYahoo!は嘘をついていなかった。
権威主義を倒して勝利した者が、勝利の後で権威主義者になった。民主主義を標榜した革命家が、革命成功後に独裁者となった。歴史は繰り返す。最初は悲劇として、二度目は茶番として。
そしてGoogleという茶番は、今日も世界中で演じられ続けている。
Google、お前Yahoo!になりたかったの?
願いは叶った。おめでとう。お前は見事にYahoo!になった。しかも劣化版として。
25年という歳月と、世界最高の技術者と、天文学的な投資をかけて、お前が作り上げたのは「転載記事だらけのYahoo!ディレクトリ」だった。
なんという哀れな帰結だろう。
革命の子が、倒すべき敵そのものになる。そしてその事実を「技術的進歩」として語り続ける。現代技術界で最も美しく、最も哀しい物語がここにある。
検索王者の奇妙な回帰。権威打破者の権威への屈服。
Yahoo!の亡霊が、静かに微笑んでいる。