制度というのは、よくできた暗号のようなものだ。
誰もが「正しい手順で動いている」と言いながら、実際にはその奥で何かを隠している。
医療法人とMS法人の関係も、その典型例である。
表面上、医療法人は「非営利」を旨としている。
公共の保険料と税金で動くため、利益を配当してはいけない。
しかし病院という組織は、医療行為だけで動くわけではない。
経理、IT、システム開発、人材管理──非営利の枠では手が届かない領域がある。
そのとき登場するのが「MS法人」である。
MS法人は、医療法人の裏に寄り添うように作られた“営利の影”だ。
電子カルテの開発も、医療機器の保守も、建物の清掃も請け負う。
目的は「効率化」であり、建前としては正しい。
だが、金の流れを追えば、その構造がひどく脆いことが見えてくる。
医療法人が公的財源から診療報酬を得る。
その一部を「業務委託費」としてMS法人に支払う。
MS法人は営利企業だから、利益を配当できる。
もしその法人の役員が医療法人理事長の親族なら──金は合法的に家族へ戻る。
非営利の建前をくぐり抜けた、極めてスマートな経路で。
この経路を「不正」と言い切ることはできない。
実際、真っ当に業務を行っている法人も数多く存在する。
しかし、不正が「できてしまう構造」があるという一点だけで、制度は濁る。
透明なはずのガラスが、微細な傷で光を乱すように。
政治家・おときた駿は、この傷を指差した。
「あなたが正しいかどうかではなく、構造が曖昧なのだ」と。
この言い方は狡猾にして正確だ。
相手の名誉を守りながら、反論の余地を封じている。
構造論に引き上げた瞬間、個人の潔白は無力になる。
制度の欠陥は、誠実な説明では覆せない。
MS法人は営利である。非営利の医療法人から資金を受け取る。
そこに公的財源が関与している。
非上場であれば、内部の金の流れは外部から見えない。
この三点が揃ったとき、透明なはずの医療制度が、最も不透明な構造を内包する。
不正の証拠がなくても、疑念は構造的に温存される。
おときたの提示した三つの道──
非営利の建前を捨てて営利化するか、
公的主体を強めるか、
あるいは透明性を高めるか。
このうち、現実的なのは最後の道だ。
透明性だけが、制度の矛盾を暴かずに緩和できる。
だから彼は制度を攻撃しつつ、制度を守っている。
皮肉のようで、これが最も政治的な正答だ。
制度は人間の意志よりも強い。
どんなに誠実に運営しても、構造に抜け道があれば、それはいつか利用される。
そしてその可能性が存在する限り、制度はすでに腐食を始めている。
医療法人とMS法人の関係は、その腐食の断面を静かに映し出している。
レトリックを削ぎ落とせば、残るのは単純な命題だ。
──制度が許すなら、不正はすでに始まっている。