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溶けゆく時間と「将来」の消失:インフレという名のシステム熱暴走

経済という巨大なエコシステムが健全に稼働するためには、通貨の流動性と安定性の間に、極めて繊細な均衡が保たれていなければならない。しかし、ジンバブエに代表される失敗国家では、このバランスが完全に崩壊し、人々の時間軸そのものが破壊されている。

インフレ率が極端に低い、あるいはマイナスとなるデフレの状態において、経済は「死蔵(スタック)」という名の硬直に陥る。通貨を持っているだけでその価値が相対的に上がっていく環境下では、誰もが「今使うよりも、持っておくこと」を最適解として選択する。キャッシュは市場という回路を流れなくなり、新しい投資や消費という名のトランザクションは停止する。これが、かつての日本が経験した、寒冷地でオイルが固まり、エンジンが始動しなくなるような「デフレの罠」である。

対照的に、ジンバブエが陥ったハイパーインフレは、システム全体の熱暴走(メルトダウン)である。

通貨の価値が分単位で剥落していく環境において、紙幣はもはや「価値の保存」という機能を失い、手に持っているだけで自分を焼き尽くす「爆弾」へと変貌する。人々は通貨を手にした瞬間に、それをパンやガソリン、あるいは外貨といった、腐らない現物へとパージ(排出)せざるを得ない。ここでは「宵越しの銭は持たない」ことが江戸っ子の粋などではなく、生存のための唯一の合理的プロトコルとなる。

この熱暴走がもたらす真の悲劇は、社会から「中長期」という概念を完全に削除してしまうことだ。

数年後のために貯蓄する、十年後のために技術を磨く、二十年後のためにインフラを整備する。こうした「未来への投資」は、通貨という価値のメモリが安定していることを前提に設計されている。明日には価値が半分になることが確実な世界で、誰が長期的な計画を立てるだろうか。全ての思考は「今、この瞬間に何を胃袋に収めるか」という極めて低レイヤーな生存戦略にのみ費やされ、社会の解像度は著しく低下していく。

経済における適度なインフレとは、システムが凍りつかず、かつ過熱もしないための「最適な動作温度」である。管理者がこの温度調節を放棄し、安易な増刷という名のオーバークロックに手を染めたとき、国民が築き上げてきた「将来」という名のバックアップデータは一瞬で揮発する。

我々は知らなければならない。通貨の安定を守ることは、単に物価を維持することではない。それは、人々が未来を信じ、今日のリソースを明日のために蓄積できるという、文明を支える最も基本的な「時間の信頼」を守ることなのだ。

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