「人手不足」という言葉に隠された見限りの本質
企業の過半数が正社員の不足を訴え、人手不足を理由とした倒産件数が高水準を記録しているという報道が続いている。しかし、この現象を単なる物価高や人口動態といった外部環境のせいにするのは事態の本質を見誤っている。マクロな経済指標として、総務省の労働力調査における完全失業率はおおむね2.5%前後の低水準を維持しており、有効求人倍率も高水準で推移している。すなわち、街に失業者が滞留しているわけではなく、働く人々がより安全で尊厳の保たれる組織へと円滑に移動しているに過ぎない。
とりわけ現場を支えてきた中堅やベテランの社員が会社を去る際、表面上は給与や待遇の低さを理由に挙げることが多い。しかし、現場の台所事情や資金繰りの厳しさを誰よりも理解している熟練層が、苦しい時期に会社を支えようとせず離脱を選ぶ本当の理由は金銭そのものではない。長年の献身に対する敬意の欠落や経営陣の不誠実さに絶望し、人として完全に見限った結果である。波風を立てずに縁を切るための最も無難な建前として金銭が持ち出されているだけであり、その実態は精神的な信頼関係の完全な破綻に他ならない。
有事に露呈する経営姿勢と組織の構造的欺瞞
人が定着しない組織の根底には、人間を苦楽を共にする仲間ではなく、いつでも取り替え可能なコストや道具として見下す人間観が存在する。震災などの非常時において、一度安全な場所へ避難した従業員に対して人命よりも売上金の回収を優先させたような事例は、その極端かつ決定的な表れである。経営者が「自分の子供には絶対にさせない危険な命令」を現場の社員には平然と下せるという二重基準は、どれほど平時に家族的経営を謳っていても、有事の瞬間に冷酷な搾取構造として露呈する。
会社が利益を出しているならば、経営者が相応の富を得ることは正当なリスクと手腕の対価として納得される。しかし、業績が低迷し従業員に人並みの生活を保障できない局面であるならば、経営者が誰よりも報酬を削り、現場の生活を守る覚悟を示さなければ説得力は生まれない。経営者自身が良い生活を維持したまま、現場にだけ耐忍と忠誠を求め、人が辞めていくことを嘆くのは身勝手な責任放棄である。痛みを分かち合わないリーダーの下から人が逃げ出すのは、極めて正常で合理的な防衛反応である。
振りかざした自己責任論の必然的な帰結
買い手市場であった時代、多くの企業は求職者や非正規雇用に対して「選ばれないのは本人の努力不足である」と冷酷な自己責任論を突きつけ、安価な労働力として買い叩いてきた。しかし、力関係が売り手市場へと逆転した途端に、人を集められない自らの経営責任を棚に上げて「人手不足の被害者」を装う論理は一切通用しない。事業を回すための労働力を確保できないのは純粋な経営戦略の失敗であり、市場原理に基づく事業者自身の自己責任である。
人を人として尊厳をもって遇する努力を怠り、金銭的優位も精神的敬意も提供できない企業が市場から退場していくことは、経済の新陳代謝として極めて健全である。失業率が悪化しない中で起きている一連の倒産劇は、人を道具として消費し続けてきた組織が市場の自浄作用によって選別・淘汰され、労働者がよりまともな環境へと再配置されているプロセスそのものである。