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AIが選び、我々は流される——AmazonとPerplexityの小さな戦争

買い物は、かつて意思の表現だった。どの本を選ぶか、どの音楽を聴くか、その選択には個人の癖と世界観が宿っていた。だが、いまやその選択は、誰かの設計した導線の中で滑り落ちていく。AmazonとPerplexityの衝突は、その導線の支配をめぐる静かな戦争である。

AmazonはAIブラウザ「Comet」に対し、ユーザーの代わりに商品を購入する機能を止めよと命じた。理由は「顧客体験の低下」だという。しかし彼らが恐れているのは不便ではなく、“入口の喪失”である。購買行動の入口を握る者は、意思決定そのものを握る。だからAmazonは、どれほど小さな侵入であっても、そこに防衛線を引く。

AIが買い物を代行する未来は、劇的ではない。誰もが「トイレットペーパーをAIに選ばせたい」とは思わない。だが、何度も同じ商品を買うとき、人は思考を手放す。その一瞬の怠慢が、支配の入口になる。AIは「面倒くささ」に寄生する。そしてAmazonはそれを最も理解している。だからこそCometのような存在を許さない。AIが一度でも購買導線に介入すれば、広告もレコメンドも無意味になる。Amazonは商品を“売る場所”ではなく、“売る理由”を管理する場所として成り立っているのだ。

かつてのAmazonの推薦は誠実だった。「これを買った人は、これも買っています」という素朴な連想は、データの背後に人間の匂いを残していた。だが今は違う。レコメンドは広告装置となり、「あなたが欲しいもの」ではなく「企業が売りたいもの」を押し出す。AIではなく人間の手による操作で、アルゴリズムがねじ曲げられている。この変質は、レコメンドの死である。もはや“理解”のための技術ではなく、“収益”のための制度だ。AmazonがCometを拒むのは、その制度の維持のためであり、ユーザー体験などという旗印は飾りにすぎない。

「顧客中心」「ユーザー価値」「パーソナライズ」。これらの言葉は美しいが、実体を失った祈祷文だ。AmazonもPerplexityも、その呪文を唱えながら自らの支配を正当化している。AIの知性も企業の倫理も、結局は“どちらが人間の判断を囲い込むか”の勝負でしかない。思考を委ねた瞬間、選択は所有される。我々は今、利便性という蜜に酔いながら、自らの意思を売り渡しているのかもしれない。

Amazonの二十年は、欲望を最適化することで築かれた。だが、最適化は飽きとともに崩れる。ユーザーのためを思わぬ設計は、やがて自己参照的な迷路になる。そこでは新しい欲望が生まれず、古い利益だけが再利用される。企業が滅びるとき、それは倫理が欠けたからではない。自分たちの正しさを更新できなくなったからだ。「便利だから使う」は、「別にAmazonでなくてもいい」に直結する。その瞬間、王国は沈む。

AIが買い物をする時代は、まだ始まっていない。だが、意思決定の代行が「当たり前」になる世界では、自由意志とは単なる幻想になる。AmazonもCometも、その幻想をどちらが描くかを競っているにすぎない。二十年続いた支配が永遠である保証はない。ユーザーのためを思わぬ仕組みは、必ず疲弊する。利便性は人を支配するが、信頼だけが世界を支える。

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