アンソロピック(Anthropic)のダリオ・アモデイCEOをはじめとするAI企業のトップたちが、こぞって「AIが人類を滅亡させるリスク」を公の場で訴えている。超知能が暴走し、生物兵器の製造やサイバー空間の掌握を通じて社会を破滅に導くという終末論的な警告は、いまや国際機関や各国政府を巻き込む一大アジェンダにまで拡大した。
しかし、この壮大な危機感には決定的な欺瞞がある。もしAIが自律性を獲得し、悪用や制御不能によって破滅をもたらすのだとすれば、その前段階として真っ先に侵害され、乗っ取られるのはAIモデルを保管し運用している彼ら自身である。社内インフラの突破という最も手前にあるはずの現実的なリスクを飛び越え、なぜ彼らはいきなり「全人類の危機」を叫ぶのか。その背景には、洗練された論理の皮を被った冷徹な権力闘争と、足元の現実から目を背け続けるエリート層の構造的な病理が存在している。
「論理の皮」を被った権力闘争と参入障壁
AI企業が自らの管理責任を棚に上げ、問題を「人類存亡のリスク」へとスケールアップさせる最大の動機は、政治的なポジショントークと参入障壁の構築にある。
もし彼らが「自社のセキュリティ体制では今後のAIを抑えきれない」と正直に認めれば、それは単なる一企業の安全管理の不備として糾弾され、開発停止を求められる。しかし、これを「核兵器やパンデミックと同じ、全人類規模の不可抗力」へとすり替えれば、自社の責任は公の課題へと昇華され、彼ら自身は警鐘を鳴らす責任ある先駆者としての地位を確立できる。
さらに深刻なのは、規制を通じた競合の排除、すなわちレギュラトリー・キャプチャー(規制の虜)の企みである。「AIはあまりに危険だから、国家による厳格な審査と巨大な安全評価インフラを義務付けるべきだ」というルールが成立すれば、莫大な資本と専門研究部門を抱える一握りの先行大手しか市場に生き残れなくなる。急追する新興スタートアップや、誰でも自由に利用できるオープンソースAIを危険物として締め出し、市場を独占するための強力な参入障壁が完成する。
ビッグテックや知性派エリートたちが行う議論は、一見すると極めて論理的で精緻なものに見える。しかし、それはお互いが「正しさ」や「倫理」という皮を被っていなければ社会的に排除されるという共通の制約を抱えているがゆえの、閉じたサロン内の神学論争に過ぎない。彼らの影響力の源泉は論理の正しさにあるのではなく、すでに一国家に匹敵する資本力と技術力というむき出しの力にある。彼らはその暴力を隠蔽するために、倫理という名の洗練された皮を必要としているに過ぎない。
背理法が封じられた社会と、継ぎ足される自己責任
論理とはどこまでいっても、設定された前提の上に成り立つ構造物に過ぎない。そして人間社会において、その前提を決定しているのは真理ではなく、究極的には強者の権力である。力を持つ者がルールの設計者である以上、彼らが提示する論理の最深部には、常に「自分たちの権力と、このシステムの存続を疑ってはならない」という不可侵の前提が埋め込まれている。
純粋な数学や哲学の世界であれば、論理を展開した結果として格差の拡大や社会の崩壊といった破綻が生じた場合、前提そのものを誤りとして覆す背理法が機能する。しかし、現実の権力構造においては背理法は決して起きない。社会にどれほどの矛盾が噴出しようとも、エリート層は前提の正しさを手放さず、破綻の責任をすべて末端へと転嫁するための理屈を継ぎ足し続ける。
グローバル化やテクノロジーの進化が格差を極限まで広げたとき、彼らはシステムの誤りを認める代わりに「変化に適応できない個人のスキル不足であり、リスキリングを怠った自己責任だ」という理屈を接ぎ木した。あるいは、生じた痛みを「より良い未来へ向かうための過渡期の産みの苦しみ」として正当化し、現場の労働者に泥をかぶせながら、自らは上澄みの利益を吸い上げ続けた。
どれほど論理的に正当な反論を試みても、強者の前提を肯定するように設計された盤面の上では、弱者は必ず自己否定へと追い込まれる。この欺瞞的な論理の暴力に晒され続けた大衆が学んだのは、エリートが用意したルールに従っている限り、永遠に搾取され続けるという絶望的な無力感であった。
盤面を叩き割る「むき出しの力」と、制度内最後の防波堤
論理によるシステムの修正が完全に封殺されたとき、人民に残された対抗手段は「相手の前提そのものを力ずくで否定すること」だけになる。ドナルド・トランプのような政治家が熱狂的に支持される理由は、まさにここにある。
トランプがAI脅威論を「そんなものは全部デマだ」と一刀両断するとき、彼はエリートが築き上げた精緻な前提や安全基準の土俵そのものに乗ることを拒否している。論理的な反論にはロジックで打ち返せるが、荒唐無稽な断定を前にしては、専門家の武器である論理は完全に無力化される。難解な専門用語で煙に巻き、発言権を奪ってきた知的階層に対し、その盤面ごと力で叩き割る姿は、長年言葉の壁で言いくるめられてきた人々にとって痛快な光景として映る。
この現象を前にして、エリート層は「大衆は無知であり、暴力を愛する愚民である」という解釈に逃げ込みがちである。そう信じれば、自らの前提の正しさを疑わずに済むからである。しかし、現場を生きる人間にとっての現実は「既存のルールに従って抗議しても緩慢な死しかない以上、盤面を壊すリーダーに賭ける以外に現実的な方法がない」という生存戦略である。エリートが前者のファンタジーに浸って大衆の啓蒙や規制を強めようと、後者の必然性が社会を駆動している以上、結果として生じる破壊の質量は何も変わらない。
忘れてはならないのは、トランプという存在はどれほど過激に見えようとも、選挙という制度内の最後の防波堤に過ぎないという点である。大衆が投票によって彼を押し上げているうちは、既存の統治機構に対する信頼の残滓が辛うじて機能している。もし体制側がこの警告すら握りつぶし、前提を温存したまま大衆に泥をかぶせ続けるならば、次に訪れるのは政治運動ではなく、法も秩序も超越した文字通りの物理的な力による現状変更である。
カリフォルニアの550万人と、エリートの救う「人類」の断絶
エリート層が語る「人類の危機」がいかに現実から遊離した茶番であるかは、彼らが本拠を置くカリフォルニアの足元を見れば明白である。
シリコンバレーを擁するカリフォルニア州において、公的な食料支援制度であるCalFresh(旧フードスタンプ)を利用して日々の食事をつないでいる人々は、実に約550万人にのぼる。これは州の全人口のおよそ7人に1人が、政府の支援なしには生存を維持できない状態にあることを意味している。
そしてこの現場において、エリートたちの都合による「理屈の継ぎ足し」と切り捨ては、現在進行形で実行されている。
- 受給要件の厳格化:再就職が極めて困難な50代後半から60代前半の層に対しても、就労やボランティア活動の証明を義務付けることで、自己責任の名のもとに支援のハードルを引き上げている。
- 対象者の除外:人道目的の保護対象者や一部の合法的滞在移民が支援の枠組みから排除され、最も弱い立場にある人々から命綱が奪われている。
- 給付水準の抑制:物価高騰に対する算定基準を切り縮めることで、実質的な支援額を圧縮し、末端の負担へと転嫁している。
同じカリフォルニアの空の下で、巨万の富を動かすテック企業の幹部たちは「数十年後に超知能が暴走して人類を滅ぼすかもしれない」と真顔で語り合い、自社を守るための規制を政府に求めている。しかし、彼らが憂慮しているその「人類」の中に、今日の食事すらままならない550万人の市民は含まれているのだろうか。
未来のSF的な危機を語る前に、今日カリフォルニアでフードスタンプをもらっている人の数を数えるべきである。足元の生身の人間を置き去りにしたまま高尚な神学に逃げ込む欺瞞を改めない限り、論理の皮をかなぐり捨てた暴力的な反転が訪れるのは、もはや避けられない歴史の重力である。