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ITによる生産性向上と実体価値の空洞化――なぜ私たちは便利になったのに貧しく、疲弊しているのか

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「帳簿上の生産性」と「実体価値」の乖離

過去30年間にわたり、IT技術の普及によって業務の効率化が進み、大企業は史上最高益を更新し続けていると報じられます。しかし一方で、労働者の実質賃金は上がらず、現場の生活実感としても豊かさを感じられないという強い矛盾が存在します。

この現象を説明する際、内部留保の滞留や過剰な株主還元といった「分配の歪み」が槍玉に挙げられがちです。しかし、より本質的な問題は、そもそも生み出されているものに実体的な価値がないまま、資本と形式上の数字だけが増大したことにあります。

経済学上の労働生産性は一般に「付加価値額 ÷ 労働投入量」で計算されます。ここでの付加価値とは、人々の生活を実質的に豊かにするモノやサービスの総量ではなく、単なる名目上の売上から中間投入を差し引いた金額に過ぎません。人件費を削る、下請けを買い叩く、あるいは市場を寡占して価格を吊り上げるといった行為を行えば、実質的な生産物が何も増えていなくても計算上の生産性と利益は跳ね上がります。

初期のインターネットがもたらした電子メールやWebによる情報流通、ECによる販路拡大は、間違いなく地理的制約を無効化する本質的な流通革命でした。しかし、その恩恵を足がかりにしながら、いつしか社会のリソースは「実体的な価値の創造」ではなく「無駄な仕事や手続きを効率的にこなすこと」へと偏重していきました。

摩擦の消失が招いた「無駄な仕事」の自己増殖

通信の摩擦が極限まで下がったことは、やるべきことの伝達を即時化しました。しかし、伝達速度が光速になっても、物理的な作業や人間の思考・睡眠といった生物学的プロセスの速度は変わりません。

かつて連絡に1日を要していた時代は、待ち時間という摩擦そのものが「本当にこの連絡や指示が必要か」を吟味させ、余計な仕事を排除する防壁として機能していました。しかし、送信コストがゼロになった結果、「浮いた時間でやらなくていい仕事を作り出し、過剰に詰め込む」という逆転現象が発生しました。

ソフトウェア開発の現場を例にとれば、コンパイルやデプロイが瞬時に終わるようになったことで、かえって自己目的化した複雑性が増殖していく構図が見られます。

【かつての開発】
長いコンパイル待ち・物理的制約
→ 脳内デバッグと設計の徹底的吟味
→ 最小限で本質的なコア機能の実装

【現代の開発】
待ち時間ゼロ・即時デプロイ
→ 思いつきの機能追加
→ コードベースの肥大化・複雑化
→ 膨大なテスト・CI/CD・監視ツールの導入
→ ツールの保守と手続きに追われる(仕事のための仕事)

結果として、エンジニアは高度なツールを駆使して毎日大量のタスクをこなしているものの、社会全体に対して生み出している実質的な価値は最初のシンプルな状態からほとんど増えていません。

「ミクロの正当性」と「マクロの無駄」という非対称性

組織の中で無駄な業務が削減されず増殖し続ける最大の原因は、「個別の立場における正当性の主張」は極めて容易であるのに対し、「全体として無駄であることの証明」が原理的に不可能に近いという構造にあります。

たとえば、ある申請に対してAからZまで26人の承認が必要なフローが存在する場合を考えます。途中の担当者に「なぜあなたの承認が必要なのか」と問えば、コンプライアンス、セキュリティ、財務規程などを根拠に完璧な正当性を説明できます。事故を0.1%でも防ぐためのルールは、個別に見れば常に正義です。

しかし、それが26人分積み重なったとき、以下の破綻が生じます。

  • 責任の拡散と形式化: 関わる人数が増えるほど「誰かが見ているだろう」という心理が働き、実質的な審査の密度は低下して単なるハンコリレーになります。
  • 不可視化される機会損失: 承認に何週間も費やしてビジネスチャンスを逃す損失は、誰の評価指標(KPI)にも計上されません。
  • 削減責任の非対称性: 「この承認を削ろう」と提案した者は、将来万一事故が起きた際の全責任を個人で負わされるリスクがあるため、誰も削減を言い出せません。

こうして、20人の専門家が20個のチェックリストを埋める体制を作り、それでも事故が起きれば「21人目の専門家と21個目の項目」を追加するという終わりのない自己増殖ループが固定化されます。ITは、この不毛な承認リレーを根本から壊すのではなく、ワークフローシステムによって電子化し、無駄な構造を延命・強化する装置として働いてしまいました。

価値の不可測定性と「愛や勇気」の証明

現代社会の閉塞感は、単に給与が上がれば解決する類のものではありません。その根本には、「自分の労働が誰かの役に立ち、現実の世界を前進させている」という手応えの喪失があります。

しかし、なぜこの空洞化を止めることができないのかといえば、本質的な価値というものは原理的に測定できないからです。愛や勇気と同じように、価値もまた数値化しようとした瞬間にその本質が抜け落ちてしまいます。

客観的な数値しか扱えない経済システムは、「測定できない価値」を扱うことを諦め、手近にあって測定しやすい「金額(売上・純利益・キャッシュフロー)」を価値そのものとみなすすり替えを行いました。その結果、どれだけ現場を疲弊させ、無意味な手続きを増やしていても、「利益が出ているのだから価値がある」と全員が思い込む倒錯が完成しました。

国家資格の数や規制の条文数、第三次産業の比率など、社会の形骸化を示す間接的な指標は存在します。しかし、何よりもそれを如実に物語っているのは、個人の受信箱に溜まる大量の未読メールです。

「とりあえず全員CCに入れられた自己防衛のメール」や「誰も読まない自動レポート」で埋め尽くされた受信箱の惨状こそ、良いことを効率的に行うために作られた技術が、余計なノイズと無駄な仕事を増殖させるために浪費されている現実を最も生々しく証明しています。

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