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「進歩的な取り組み」という名の暴力について – 野村証券生理痛体験事件が示す現代社会の病理

野村証券、社員向けに「生理痛体験」 女性が働きやすい職場環境づくり目指し(2025年7月28日掲載)|日テレNEWS NNN

2025年7月28日、野村証券が社員約110人を対象に「生理痛体験」を実施したというニュースが報じられました。下腹部にパッドを貼り電流を流すことで、子宮収縮時の痛みを強・中・弱の3段階で再現するという内容です。参加者は「痛っ!耐えられます?」「ちょっと無理ですね、ごめんなさい」と苦痛の声を上げ、顔を歪ませながら体験したと報じられています。

驚くべきことに、このニュースは「女性が働きやすい職場環境づくりを目指し」た「画期的な取り組み」として、ポジティブな論調で報道されました。しかし冷静に考えてみてください。これは単純に、企業が従業員に電流を流して意図的に痛みを与えているという事実です。これを「画期的」と呼ぶ社会は、明らかに狂っています。

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刑罰でさえ禁止されている拷問が、なぜ職場では許されるのか

日本国憲法第36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と明記しています。犯罪者に対してさえ拷問は禁止されているのに、なぜ一般企業が従業員に電気ショックを与える行為が「研修」として正当化されるのでしょうか。

この行為は明らかに刑法上の暴行罪に該当する可能性があります。人の身体に対する不法な有形力の行使であり、電流を流して痛みを与える行為は、どのような美辞麗句で飾ろうとも暴力以外の何物でもありません。参加者に身体的な害が生じれば傷害罪にもなりえます。

さらに問題なのは、これが職場という権力関係の存在する環境で行われていることです。上司や会社からの「研修」として提示された場合、従業員は実質的に断ることが困難です。これは強要の要素も含んでいます。

「女性が働きやすい職場環境づくり」という目的は確かに重要です。しかし、目的が正当であれば手段も自動的に正当化されるという論理は極めて危険です。この論理を突き詰めれば、どのような人権侵害も「善意」の名の下に正当化できてしまいます。

例えば「貧困国の苦しみを理解するため」と称して従業員に断食を強制することは許されるでしょうか。「戦争の悲惨さを知るため」として従業員を殴ることは正当化されるでしょうか。答えは明らかにノーです。それと同様に、理解促進のために電流で痛みを与える行為も決して正当化されません。

真の理解は、知識の共有、対話、統計データの提示、当事者の体験談の共有などを通じて実現されるべきです。物理的な苦痛を体験させることが理解に必須だという発想自体が間違っています。

メディアと社会全体の判断力の麻痺

最も深刻な問題は、この明らかな暴力行為が社会全体で称賛されていることです。報道機関は「画期的な取り組み」として肯定的に報じ、批判的な検討を怠りました。

これは現代社会が陥っている深刻な病理を示しています。「ジェンダー平等」「女性支援」「多様性」といったキーワードが登場すると、人々は批判的思考を停止し、どのような手段でも「進歩的で良いこと」として受け入れてしまう傾向があります。

しかし基本的人権や法の支配といった普遍的価値は、流行の理念よりも優先されるべきです。どのような崇高な目的があっても、人間の尊厳を踏みにじる行為は許されません。

野村証券が本当に女性が働きやすい職場を作りたいなら、従業員に電気ショックを与える必要はありません。生理休暇を取りやすくする制度の充実、フレックスタイム制度の導入、在宅勤務の推進、医療費補助の拡充など、実効性のある制度改革こそが求められています。

「理解促進」という名目で暴力を振るうことは、かえって女性の尊厳を傷つける行為です。女性が求めているのは同情や憐れみではなく、対等な人間として尊重され、適切な制度的サポートを受けることです。

警鐘を鳴らす必要性

この事件は氷山の一角に過ぎません。現代社会では「正しい目的」の名の下に、様々な人権侵害が正当化される危険性が高まっています。私たちは立ち止まって、何が本当に正しいのかを論理的に考え直す必要があります。

美しい理念や流行の価値観に惑わされることなく、人間の基本的尊厳と法の支配を最優先に考える姿勢が重要です。どのような「善意」があっても、暴力は暴力です。それを忘れてはなりません。

野村証券の「生理痛体験」事件は、現代社会が陥っている思考停止状態への強烈な警告です。私たちは今こそ、冷静で論理的な判断力を取り戻さなければなりません。そうでなければ、「進歩」という名の暴力がさらに蔓延する社会になってしまうでしょう。

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