1. AIの文章は「ポテトチップス」のようなもの
AIが生成する文章は万人向けに大量生産されたポテトチップス(以下、ポテチ)のようなものであり、深みのある主食にはならない。
ポテチはスナック菓子としては優秀で、多くの人に受け入れられる味と食感を持つ。しかし、ポテチだけを食べて生活することはできない。AIの文章も同様に、軽い読み物としてなら成立するが、本格的な思考を要する文章としては限界がある。
2. AIの文章は下書きに適さない
よく「AIの文章を下書きにして人間が手を加えればよい」と言われるが、これは誤りである。ポテチをいくら調理し直しても、ポテチであることに変わりはない。無理に主食にしようとしても、栄養バランスが崩れるだけだ。
AIの文章はそれっぽく見えるが、以下のような問題を抱えている。
- 表面的なそれっぽさ → 文法的には正しいが、深みがない。
- 一貫性の欠如 → 長文になればなるほど、前後の整合性が取れなくなる。
- 本質的な理解の欠如 → 結論が曖昧で、具体性が乏しい。
こうした問題を考えると、AIの文章を真剣なドラフトとして扱うべきではない。
3. AIの文章を活用するなら評価ツールとして
AIの文章を真面目に使いたいなら、「自分が書いたものをAIに評価させる」ほうが良い。これは、ポテチを無理に主食にするのではなく、適切な場面で活用する考え方に近い。
- 誤字脱字チェック → AIは細かいミスを見つけるのが得意。
- 文章の流れの確認 → 読みにくい部分の指摘は役立つ。
- 簡単な要約や整理 → 自分の考えをシンプルに整理する際には使える。
AIの文章は10のうち2くらいは参考になる部分もあるが、8は無視するべきだ。大事なのは、AIを補助ツールとして使うことであって、文章の主体にしないこと である。
4. ポテチはポテチとして仕上げることが大事
AIの文章をどう扱うかを考える際、「ポテチはポテチとして楽しむ」という発想が重要だ。ポテチに栄養を求めたり、無理に食事にしようとするのではなく、スナックとしての価値を最大化するべきである。
具体的には、
- 短くて軽い文章を作る用途に向いている。
- 情報をざっくり整理するのには役立つ。
- 気軽に楽しむコンテンツには適している。
逆に、
- 真面目な論考や、独自の意見をまとめるのには不向き。
- 独創的なアイデアや深い洞察を求めるのは無理。
- まとまった文章のドラフトにはしないほうがよい。
5. 結論:「ポテチはポテチとして使え」
AIの文章は、万人向けに作られたスナックのようなものであり、決して主食にはならない。だからこそ、
- AIの文章を過信しない。
- 下書きには使わず、評価ツールとして活用する。
- 軽い読み物や整理用の文章としてのみ使う。
ポテチはおやつとしては美味しいし、楽しむ分には価値がある。AIの文章も同じで、「どこでどう使うか」を考えれば、それなりに役に立つ。しかし、それを主食にしようとした瞬間に破綻する。
AIの文章はポテチであり、ポテチはポテチのまま楽しむべきなのである。